家政夫のミタンニ日記

マリノス観戦録を中心に、書きたいことをつらつらと。

"8.11" -わたしとマリノス、15年記念日-

2007年 8月11日。当時小学1年生。

この日の経験は、あまりに衝撃的だった。

 

横浜F・マリノス vs 横浜FC、通称「最後の横浜ダービー」。

 

友達の影響で学校のサッカーチームに入ったばかりの僕の手元に招待券が配られ、家族で初めてサッカー観戦に訪れることになった。

父親は中高でサッカー部に所属していたがそれ以降はサッカーとは無縁。母親は当初あまり乗り気ではなかったような記憶がある。

 

右も左も分からない僕たち一家は、2階ゴール裏メインスタンド寄りに着席。

あまりに広いスタジアム、そしてとにかく人が多い。これだけでも圧倒された。

でも、衝撃的だったのはここからだった。

 

選手入場時にはゴール裏からバクスタまでを巻き込んでマスゲームが行われた。

試合が始まったかと思えば、たくさん点が決まり、その度に大量の紙吹雪が舞う。

サポーターは大騒ぎ。

 

7歳の少年にとってこの空間は、熱狂を通り越してもはや恐怖だった..。

同時に、そんな空気感に魅せられた。

 

こうして僕たち一家は残りのシーズンも何度かスタジアムに足を運んだ。

座席はもちろん、ゴール裏。

チャントを歌い、旗を振るのがひたすら楽しかった。

 

 

 

そして翌2008シーズン、我が家は年チケデビューを飾る。

足繁くホームゲームに通った。

 

家では父にチャントサイトの音源をまとめたCDを作ってもらい、チャントを練習した。

初めてゲーフラも作成し、順調に「サポーター」としての道を歩んでいた。

 

のだが。

 

10月から父の転勤で島根県へ引っ越すことが決まってしまった。

 

不可抗力でマリノスから引き剥がされ、ここからは「スカパー!」の画面とにらめっこな日々...。

引っ越して初めのうちは家でも旗を振ってチャントを歌っていたものの、いつの間にか静かに試合を見るようになった。

 

2010年シーズン、あの初観戦の日に活躍した選手たちが何人もチームを去ったが、画面越しに姿を見守ることしかできなかった。せめてチャントを歌いたかった。

2014年シーズン、サポーターになって初めてのタイトルも画面越し。

 

マリノスへの熱量が低くなることはなかったけど、いつしか「画面の向こう側」の存在になってしまっていた。

 

 

 

そうこうするうちに中学校・高校と進学。

吹奏楽に夢中になり、試合のリアタイ視聴ができないことも。

 

そんな中、2017年、自分とマリノスの距離を縮めるチャンスが訪れた。大学受験である。

 

関東の大学に進学すれば、自力でマリノスの試合を見に行けるようになる。

自分の学力的な目標とも照らし合わせ、都内のとある大学を受験した。

 

が、結果は不合格。

(マリノスとは関係のない理由だが)その大学以外に行く気がなかったので浪人を決意。

 

浪人したのは2018年。

そう、アンジェポステコグルー体制初年度である。

 

自分にとってもマリノスにとっても激動の一年だった。

魅力的なサッカーながら苦戦するマリノスに自分を重ねて勉強する日々。

信じて貫くマリノスの姿勢にどれだけ支えられたか。

 

なんとか志望校に合格し、晴れて関東での生活が始まった。

 

 

 

そして迎えた2019シーズン。

マリノスが上位争いを演じる一方で、夢の関東生活を始めた自分はまだどこか「向こう側の存在」としてマリノスを見てしまっていた。

 

結局現地で見たリーグ戦は最終節だけ。

優勝が決まった嬉しさに涙したものの、心のどこかで引っ掛かるものもあった。

 

あの頃のように応援に参加するだけではなんだか満足できなかった。

 

 

 

そんなもどかしさを隅に抱えたまま2020シーズンを過ごし、2021シーズンへ。

有観客試合はなるべく行き、まずは「向こう側の存在」から脱却し、徐々に「マリノスがある日常」を取り戻していくように。

 

そんな中、とある試合にて、Twitterで知り合ったマリサポと初めて対面で会う機会ができた。

強烈な福岡弁を話すその人は、「君にとってマリノスの何が面白いのか」を問いかけてきた。

 

Twitterを通して知り合った人と会うだけでも新鮮だったのに、問いかけの内容はもっと刺激的だった。

 

8月11日の原体験を強く意識するようになったのはこの頃からで、「あの熱狂を体験するだけではなくて、自分もその担い手の1人になりたい」と思うようになった。もどかしさの正体が分かった。

 

じゃあどうやって「担い手」になろうか?

コロナ禍でできることを考えた時に、昔作ったゲーフラのことが浮かんだ。

自分でゲーフラを作るだけではなく、周囲のゲーフラを増やすことはスタジアムの熱量を上げることにつながるのではないか。

 

思いつきのままアイデアをツイートし、協力者を募ったところ、すぐに声を掛けてもらうことができた。

ゲーフラ作ってみませんかの会」と称した活動はそこから始まり、今も続いている。

 

その活動を通じて、自分の原体験となるスタンドを作り上げた人たちや、擦り切れるほど音源を聞いたチャントサイトの運営をする人と知り合うこともできた。

当時の話を直接聞くことができるなんて思ってもいなかったので感動した。

 

それと同時に、もっとできることがあるのではないかという気持ちも強まったりしている。

それはこれから考えよう。

 

 

何はともあれ。

 

"8.11"から始まったサポーター人生は今日で15年。

 

「自分も誰かの原体験となる熱狂の担い手になりたい」そんな想いが強くなった記念日。